「家父長制の起源」を読んで
2025.11.18
執筆:國信 浩也(インテアス法律事務所)
最近、「家父長制の起源」(アンジェラ・サイニー 集英社シリーズ・コモン 2024)という本を読んでみました。
日本ではジェンダーギャップが大きく、ジェンダーギャップ指数のランキングでも下位に甘んじています。そして、改善のスピードも遅い。それはなぜだろうか。男女は平等であるべきという「普遍的な」価値規範としての人権が根付いていないからだと、私は思っています。
その上で、私も、そんなに単純な話ではないのだろうなとも思っていました。しかし、「どういうふうに単純ではないのか」、ということについての理解が進まないことに歯がゆさを感じていました。
そうした歯がゆさに対する回答がこの本にはあります。
先史時代から現代に至るまで、家父長制が様々な要因によって、また、世界中で形成されてきたことが、膨大な文献や史実から解き明かされています。裏を返すと、家父長制はなんら「普遍的な制度」ではなく、時代時代において権力者の都合により、意図的にあるいは結果的に形成されてきたということが書かれています。
「とりわけ人生にはかなさを感じるとき、永遠に続く何かにすがりたいという願望が、私たちを文化や宗教の保護へとへと駆り立てる。何千年ものあいだ、この願望は世界中で私たちの拠り所となってきた。だが同時に、これこそが、革命、動乱、戦争などの危機の時期に、家父長的な権力が急激に台頭しがちな理由でもある。たとえば、現代のアフガニスタンでは、タリバンの影響力はしばらくは外国勢力によって抑えられたかもしれない。だが、現地の女性活動家が世界に理解を求めたように、紛争や災害は結局、保守派の声を大きくしただけだった。」
「家父長的な権力の強さは、それが私たちの多くの文化にどれくらい深く浸透しているかによって決まる。人間は何にも増して、文化的な生き物だ。何かに帰属し、歴史をもち、自分の存在に自分自身を超えた何らかの意味があると感じたいと願っている。過去とのつながりがなくなれば、アイデンティティを確立する基準がなくなってしまう。だが、文化が守りたいものであると同時に抑圧の原因でもある場合、私たちはいったいどこに向かえばいいのだろうか。」
この2つの文章には刮目した思いがしました。「文化」は誰にも染みついている。そして、「文化」には、守るべき部分と、抑圧を強いる部分が、不可分に含まれているのです。不可分だからこそ、抑圧を強いる部分、つまり、家父長制のみを切り取って除去するということが難しい。
この本の主題はこういったところにあります。
しかし、著者のメッセージは、それにとどまりません。家父長制の有り様は複雑に織り込まれている、しかし、一方で、「普遍的な制度」でないことも明らかなので、難しいけれども、今ある文化を守りつつ、不合理な家父長制の要素を取り除いていく努力はやめるべきでないというところに著者のメッセージがあります。
最近、自分のこれまで考えてきたことのバックボーンの弱さを感じるとともに、一方で、世の中を日本を俯瞰してきた視点には一定の自負もあります。これらを、自分なりに、煮詰めて、まとめてみたいという学術的な欲求があるので、そういう活動もいいかもしれないなと思います。
