「密室の価格交渉」は終わった!価格転嫁の新たなルールと作法

「密室の価格交渉」は終わった!価格転嫁の新たなルールと作法

2025.11.18

執筆:樽本 哲(インテアス法律事務所)

1. 賃金上昇を阻む構造的課題と経済の「不均衡」

現在、円安と物価高が生活を圧迫する一方、実質賃金は2年超も連続マイナスという状況が続いています。この、物価高と賃金低迷の「不均衡」は、デフレ下で長年定着した「コストを価格に反映させず、取引先(サプライヤー)に一方的に負担を強いる」という構造的なひずみにあります。大企業がこの慣行を続けた結果、取引先である中小企業は適正な利益を確保できず、賃上げの原資や設備投資の資金が枯渇しています。
これまで、価格交渉は当事者間の力関係が強く働く「密室での協議」に委ねられがちでした。この不透明な慣行を是正し、企業が適正な利幅を確保し、持続的な賃上げの原資を生み出すこと。これが、政府がこの数年間集中的に取り組んでいる価格転嫁政策の核心です 。

2. 「価格転嫁」は企業の必須戦略へ

かつて、価格転嫁の問題は、取引の公正確保を目的とする下請法の買いたたき規制で対応するものとされてきました。しかし、政府が「賃上げ」を最優先の経済目標に据えたことで、その位置づけは大きく転換。令和5年に内閣官房が公取委と連携し「労務費転嫁指針」を策定し、下請法の運用基準で買いたたきの解釈拡大が図られたことは、価格転嫁が単なる法令遵守ではなく、経済成長のための必須戦略となったことを物語っています。「協議に応じないのは不当」という行政の強い姿勢が、従来の取引慣行に変化を迫っています。

3. 法的基盤の強化:令和8年1月1日施行の改正法

この政策的な流れをさらに推し進める法改正が間近に迫っています。
下請法の大幅改正により、「下請」という用語は廃止され、法律名も「製造委託等に係る中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等の防止に関する法律」(通称:取適法)へと変更されました。施行は令和8年1月1日の予定です。
改正のポイントは、委託事業者による価格交渉の拒否を禁止し、不当な価格の据え置きを許さない法的枠組みの強化です。「協議に応じない一方的な代金決定」が同法の禁止行為として明確に位置づけられました。同時に、同法の適用基準の拡大(従業員数の基準の追加)と対象取引の追加(製造等の目的物の引渡しに必要な運送の委託取引が規制対象に)、事業所管省庁に対する指導・助言権限の付与が行われています。また、「受託中小企業振興法」の改正により、委託事業者には、取引先の労働時間短縮など、経営改善への協力責務が明確に課されることになりました。

4. 大企業に突きつけられた「公表」という現実

価格転嫁をめぐる議論は、公取委による「公表」という形で、市場の監視下に置かれました。この公表措置は2023年以降、毎年続いており、令和7年(2025年)3月には、トヨタ自動車、イオン、セブン&アイといった各業界のリーディングカンパニーの名が挙がっています。これらの「頂点企業」たちは、社名を公表されたことで、経営トップの関与による取引方針の見直しという組織的な改善を余儀なくされています。

5. 悪循環を断ち、持続的成長を可能にする「戦略的投資」

価格転嫁が進むことで、経営者としては、「価格転嫁がさらなる物価上昇を招き、再び賃上げ要求へと繋がる負の連鎖(インフレ・スパイラル)に陥るのではないか」という懸念を抱くかもしれません。
価格転嫁が単なるコストの転嫁に終わらず、物価高に負けない持続的な賃上げにつながるための鍵は、戦略的な投資にあります。
改正法は、企業が適正な利幅を確保する権利を保証する法的土台に過ぎません。その土台の上に確保した利益を、賃上げに回すと同時に、「生産性向上」と「人への投資(人材育成・能力開発)」という二つの柱に振り向けることが求められます。

生産性向上: DXや設備投資を通じた効率化は、コストが増加しても価格を上げずに済む「体力(価格弾力性)」を生み出し、実質賃金の上昇を可能にします。
人への投資: 労働者のスキルアップや能力開発への投資は、企業の付加価値そのものを高め、価格競争から脱却して、市場に高付加価値な製品・サービスを適正価格で提供しやすくします。

6. 価格交渉は「公正な競技」へ:ノーサイドの精神を

一連の政府の施策と法改正により、これまでの価格交渉は、ルール(作法)が明文化されました。当事者間の密室での協議だったものが、公正なルールのもとでの開かれた競技へと変化したと言えます。価格交渉は今、公表という形でスポットライトが当てられ、規制当局のみならず、市場や消費者が見守っています。

受託事業者(中小企業・フリーランス)の方々へ。法的な後ろ盾と市場の視線がある今こそ、臆することなく、コストの根拠を明確にした「攻めの価格交渉」を活用していただきたいと思います。これは正当な権利の行使でると同時に、従業員などのステークホルダーに対する責任でもあります。

委託事業者(大企業)の方々へ。公正なルールのもと、正々堂々「戦い」、協議を尽くしましょう。そして、試合が終わったらノーサイドです。協議の結果がどうであれ、相手をリスペクトし、パートナーとして共存共栄を図っていくこと。それが、企業イメージを守り、日本経済全体の「好循環」へとつながります。

この法改正を、過去の慣習を断ち切り、サプライチェーン全体で未来を創るための構造改革の機会として活用することが、すべての企業に課された責務です。

価格交渉の作法と心構えを学びたい方は、中小企業庁のウェブサイトの情報が参考になります。具体的な案件でお困りであれば、当事務所までお問い合わせください。

インテアス法律事務所では、法津の豆知識・雑学・トラブル・お悩みに関して弁護士が定期的にコラムを執筆しています。
最新のお知らせを受け取りたい方はメールマガジンにご登録ください。
その他、イベントのご紹介や事務所の活動についてなども発信しています。
登録フォーム
過去のメールマガジンはこちらからご覧いただけます。

カテゴリ
キーワード
人気記事ランキング

お電話でのお問い合わせ・ご相談

03-4214-8639

平日:9:30~17:30