松本人志氏裁判の意外な結末について
2024.11.19
皆さんもご存知のとおり、松本人志氏の裁判が、被告側の同意のもと、取り下げられました。そして、この取下げの意味合いについてさまざな見解が飛び交っています。
ここでは、私なりにその意味合いを考えてみたいと思います。そんなに攻めた見解にはなっていないので、そういう期待は禁物です。
まず、NHKのサイトから以下の双方のコメントを転記します。
松本人志さんコメント全文
松本人志さんの代理人が発表した松本さん本人のコメントは以下の通りです。
「これまで、松本人志は裁判を進めるなかで、関係者と協議等を続けてまいりましたが、松本が訴えている内容等に関し、強制性の有無を直接に示す物的証拠はないこと等を含めて確認いたしました。
そのうえで、裁判を進めることで、これ以上、多くの方々にご負担・ご迷惑をお掛けすることは避けたいと考え、訴えを取り下げることといたしました。
松本において、かつて女性らが参加する会合に出席しておりました。参加された女性の中で不快な思いをされたり、心を痛められた方々がいらっしゃったのであれば、率直にお詫び申し上げます。
尚、相手方との間において、金銭の授受は一切ありませんし、それ以外の方々との間においても同様です。
この間の一連の出来事により、長年支えていただいたファンの皆様、関係者の皆様、多くの後輩芸人の皆さんに多大なご迷惑、ご心配をおかけしたことをお詫びいたします。
どうか今後とも応援して下さいますよう、よろしくお願いいたします」
松本さんの代理人弁護士コメント
松本人志さんの代理人の弁護士が発表したコメントは以下の通りです。
「当職らは、松本人志氏を代理して、(株)文藝春秋ほか1名を被告とし、松本人志氏の名誉を回復すべく、訴訟活動を継続してまいりました。しかしながら、この度、被告らと協議等を重ね、訴訟を終結させることといたしましたので、ご報告いたします。この訴訟終結に関する松本人志氏のコメントは、下記のとおりです。なお、報道関係者の方々におかれましては、偏向報道と受け取られる可能性のある内容や事実に反する内容を報道することがないよう、適切に対処されたく、念のため申し添えます」
週刊文春コメント
週刊文春がホームページで公表したコメントは以下の通りです。
「本日お知らせした訴訟に関しましては、原告代理人から、心を痛められた方々に対するおわびを公表したいとの連絡があり、女性らと協議のうえ、被告として取下げに同意することにしました。なお、この取下げに際して、金銭の授受等が一切なかったことは、お知らせの通りです」
松本氏のコメントのポイントは3つ。
①強制性の有無を直接に示す物的証拠はないこと等を含めて確認いたしました。
②松本において、かつて女性らが参加する会合に出席しておりました。
③参加された女性の中で不快な思いをされたり、心を痛められた方々がいらっしゃったのであれば、率直にお詫び申し上げます。
④相手方との間において、金銭の授受は一切ありませんし、それ以外の方々との間においても同様です。
松本氏代理人のコメントは取り上げるほどの点はないようです。
一方、文春側のコメントのポイントは2つ。
⑤原告代理人から、心を痛められた方々に対するおわびを公表したいとの連絡があり
⑥この取下げに際して、金銭の授受等が一切なかったことは、お知らせの通りです
④と⑥は一致しているのでいいでしょう。
①は、以前のコラムでも触れたとおり、原告が起こした名誉毀損の裁判では、記事の内容の真実性や真実相当性が論点になるのであり、強制性交等罪の成否が論点にはならないことが影響しています。
つまり、松本氏としては、記事の印象から松本氏が女性に対し刑法に該当する犯罪行為を行ったとの疑惑の目が向けられていることに対する不満が大きいところ、名誉毀損の民事訴訟で判決まで行っても、その疑惑が晴れないおそれがあったのです。
ですので、強制性の有無を直接に示す物的証拠はないことを確認したと発信してよいと文春側の了解を得た(了解を得たとまでは述べられていませんが、この点に特に文春側から反論がないことからして、了解を得たとみるのが自然だと思います。)ことは、ある意味判決よりもよいと考えたと思われます。
②は、松本氏として記事にあるような会合への出席まで否定することはできないと考えたのでしょう。今後、復帰できるかは、この②の事実を世間がどう見るかでしょうね。ちなみに、私は、不祥事を起こしたのが男性か女性かによって、復帰の可否や期間に不合理な違いがあると考えています。
そして気になるのが、松本氏側の③と文春側の⑤のニュアンスの違いです。
③の「いらっしゃったのであれば」は、いかにも曖昧な表現です。ここも文春側がこういう表現を了解までしたのかはやや不明だと思います。というのも文春側の⑤では、「心を痛められた方々に対するおわび」と記載され、心を痛められた方がいたことは確定している表現になっているからです。
仮に双方が発出するメッセージを、双方が相互に一字一句確認していたとするならば、なぜ文春側は③の「いらっしゃったのであれば」を許容したのかが気になります。個人的には、「いらっしゃったのであれば」という表現は、むしろ松本氏側の評価を下げるリスクもあると考えています。
一方で、一字一句までは確認していない可能性もあり、そうであれば松本氏側が、事後的に文春側に批判されるリスク覚悟で曖昧な表現にしたのかも知れませんね。
なお、本コラム執筆者の意見や考えを述べたものであって、事務所を代表するものではありません。