アメリカのベネズエラに対する軍事行動と高市総理のコメントについて
2026.01.10
執筆:國信 浩也(インテアス法律事務所)
皆さんご存知のとおり、1月4日に、アメリカがベネズエラの首都カラカスに対して軍事行動を起こし、ベネズエラ大統領夫妻を奪取しました。
これに対する、高市総理のコメントは「日本は自由、民主主義、法の支配といった基本的価値や原則を尊重してきた。こうした一貫した立場に基づいて、主要7カ国(G7)や地域諸国を含む関係国と緊密に連携する。ベネズエラにおける民主主義の回復と情勢の安定化に向けた外交努力を進める。私の指示の下、邦人の安全確保を最優先としつつ、関係国と緊密に連携して対応に当たっている。」というものでした。
高市総理のコメントはいかにも玉虫色のコメント(あるいは、ややアメリカを支持するコメント)なのですが、憲法をかじった私としては、「自由、民主主義、法の支配といった基本的価値や原則」がここで何を意味しているのかを考えてみました。
「自由」の主語は、国民ですので、「自由」とは国民の自由や人権を指すのでしょう。また、「民主主義」とは、各国国内の統治の原則を指しています。そうだとすると、この並びで出てくる「法の支配」は、国内の統治において、人(独裁者など特定人)による支配ではなく、国家権力を憲法で縛る意味での「憲法による支配」のことを意味し、近代立憲主義に基づく憲法を保持することを意味するように読めました。
しかし、少し調べたところ、本来的には「法の支配」は上記のとおり、国内統治の原則であったものが、国際関係においても用いられるようになっているようです。その場合「法」とは憲法ではなく国際法を意味することになり、「法の支配」の意味は大きく変わってきます。本件では、武力行使の禁止を定める国連憲章第2条4項に違反する疑いがあることをもって国際法違反としての「法の支配」からの逸脱があるという論法になります。
「法の支配」の意味がこの2つの意味を持っているとすれば、高市総理のコメントに出てくる「法の支配」がどちらを意味しているのかが判然とせず、この意味でも玉虫色のコメントなのだと思います。
次に、高市総理のコメント中の「ベネズエラにおける民主主義の回復と情勢の安定化に向けた外交努力を進める。」についてです。これは、ベネズエラにおいて民主主義が危機に瀕しており、それを回復することを求めているのですから、アメリカの行動を支持しているように見える部分です。しかし、他国の民主主義がどうも崩壊しているようだから、軍事行動で立て直してあげようというのは、国際的なおせっかいであり、主権侵害として国連憲章2条1項に違反する疑いがあるところ、ここには高市総理は目をつぶっているようです。
いずれにしても、今回の行動を批判するには、国連憲章等の国際法違反を理由とする必要があるわけですが、トランプ政権をはじめとして、戦後の規律であるはずだった国連憲章がそもそも軽んじ始められていることに鑑みれば、国連憲章違反と言うだけでは歯止めにならない時代になってきているようです。
そうであれば、国際関係において一体なにを普遍的な価値として、できるかぎりの平和を実現すればいいのか悩ましいところです。個人的には、個人の自由・人権をなるべく侵害しないように国家が相互に牽制するということが望ましい、つまり、国際関係においてもあくまで個人の自由・人権が基礎となる価値であるべきと思っています。
国連憲章がもはや古いから、力による支配に委ねるというのでは、人類としてあまりに学びがなく悲しい気持ちになります。
